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『燃ゆる女の肖像』

『燃ゆる女の肖像』(原題:Portrait de la Jeune Fille en Feu)
監督:セリーヌ・シアマ
出演:ノエミ・メルラン,アデル・エネル,ヴァレリア・ゴリノ,ルアナ・バイラミ他
 
TOHOシネマズ西宮にて、夕刻から2本ハシゴの1本目。
 
このタイトルだから、楽しくはなさそう。でも評判は良いみたい。
どういう作品なのかも知らないまま観に行き、
鑑賞後に調べたら、第72回カンヌ国際映画祭クィア・パルム賞受賞作。
この賞を女性監督が受賞するのは史上初だそうです。
当然と言っちゃなんですが、セリーヌ・シアマ監督もカミングアウトしています。
『ぼくの名前はズッキーニ』(2016)はシアマ監督の脚本。
 
18世紀のフランス。
教鞭も執る画家マリアンヌは、自分をモデルに学生たちにスケッチさせているところ。
ふと教室の後方に目を遣ると、そこにはかつて自分が描いた絵がある。
奥のほうに置いてあった彼女の絵を学生たちが見つけて前に持ち出したようだ。
学生から絵のタイトルを問われ、マリアンヌは答える、「燃ゆる女の肖像」だと。
 
そこからマリアンヌの回想に。
 
ブルターニュの孤島に佇む屋敷を訪れたマリアンヌ。
目的は、伯爵夫人の依頼により次女エロイーズの肖像画を描くこと。
エロイーズは親の決めた相手とまもなく結婚する予定。
長女が同様の縁談話のせいで自殺したため、次女の結婚が繰り上げられたのだ。
 
修道院で生活していたエロイーズはこのような理由で突然呼び戻され、
何もかもに怒りを感じて心を閉じている。
マリアンヌよりも前に肖像画を描きにやってきた画家には
エロイーズはついぞ一度も顔を見せることなく、画家は描くのを断念したらしい。
 
それゆえ伯爵夫人はマリアンヌが画家であることも訪問の目的も伏せろと言う。
致し方なくマリアンヌはエロイーズの散歩の同行者を演じ、
そのときに目に焼き付けたエロイーズの顔や姿を屋敷に戻って密かに描く。
 
やがてマリアンヌに信頼を置くようになるエロイーズ。
伯爵夫人の留守中には、住み込みの家政婦ソフィーもまじえて楽しく過ごすのだが……。
 
女性であるがためにさまざまな制限を受けて抑圧されていたことがわかります。
相手と会ったこともないまま決められた結婚。
せめて少しは相手のことを知りたいのに、何も知らせてもらえない。
 
家政婦もどこかで会った男性の子を身ごもっていますが、産めない。
かといってまともな病院に行くこともできず、
怪しげな方法で堕胎できる人を頼ります。
それに付き添うことで、マリアンヌやエロイーズとの絆は深まる。
 
画家も男性と女性では描ける題材が異なる。
男性は女性の裸体を描くことは許されても、その逆は無理。
だから、男性の名を騙って描いたりするのですねぇ。
 
恋に落ちながらこの時代には絶対に成就しない想い。
それでも心はどこかで繋がっていたことを思わせるエンディング。
なんとも言いがたい余韻があります。

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『魔女がいっぱい』

『魔女がいっぱい』(原題:The Witches)
監督:ロバート・ゼメキス
出演:アン・ハサウェイ,オクタヴィア・スペンサー,スタンリー・トゥッチ,
   ジャジル・ブルーノ,コディ=レイ・イースティック他
声の出演:クリスティン・チェノウェス,クリス・ロック
 
イオンシネマ茨木にて。
 
原作はロアルド・ダールの児童文学。
原作を発表してから50年近く経ってまだ映像化されているなんて、
小松左京もあの世でびっくりしていることだろうと思ったけれど、
ロアルド・ダールの著作もずーっと映像化され続けています。
本作はプロデューサーにギレルモ・デル・トロが名前を連ねていて、
それだけでもう面白そう。実際とっても面白かった。
 
何者かが子どもたち相手に「魔女とは」と説くフィルムを回しているシーンから始まります。
そしてその何者かの体験談らしきものが映し出されます。
 
パパとママを交通事故で亡くし、おばあちゃんに引き取られた僕。
ショックから立ち直れない僕に愛情を注ぎ続けるおばあちゃん。
その根気に引きずられるかのように、僕は元気を取り戻す。
 
なのにまたしても試練の時が訪れる。
ある日、スーパーに行った折、怪しげな女性に声をかけられる。
お菓子と共に蛇を仕向ける女性の形相に、僕は怯えて声も出ない。
 
帰宅後にそのことを話すと、おばあちゃんは笑うどころか真顔。
怪しげな女性は間違いなく魔女で、僕は目をつけられたらしい。
魔女から逃れるべく、おばあちゃんと僕はメキシコのリゾート地を訪れるが、
そこではちょうど大魔女が仕切る集会がおこなわれていて……。
 
おばあちゃん役のオクタヴィア・スペンサーが主役だと言っていいと思うのですけれど、
大魔女役のアン・ハサウェイの存在感がありすぎる。
手の指が3本しかなくて、足の指はなくて、口が耳まで裂ける魔女、怖すぎ。
この「手の指が3本しかない」設定が、先天異常の欠指症を連想させると批判を受けたそうで、
映画を作るのも何かと大変です。
本作からそんなことは連想しないと思うけどなぁ。
 
大魔女にネズミの姿に変えられてしまった僕の
「体が小さくなったら気が大きくなった」という台詞が好きです。
確かに、見た目が小さくなって目立たなくなったら、
いろいろと大胆なこともできるのかもしれない。
人間の姿に戻れるエンディングを想像しがちだけど、意表を突かれました。
そのままも悪くない。あ、ものすごくネタバレですね。すみません。(^^;

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『ザ・プロム』

『ザ・プロム』(原題:The Prom)
監督:ライアン・マーフィー
出演:メリル・ストリープ,ジェームズ・コーデン,ニコール・キッドマン,
   ジョー・エレン・ペルマン,アリアナ・デボーズ,アンドリュー・ラネルズ他
 
スゲぇよなぁ、Netflix。こんな顔ぶれの作品をネットで配信だなんて。
でも私は家では観る暇ないもん。
これなんて、劇場で観るほうが絶対楽しい作品でしょ。
家に劇場並みの大きさのスクリーンがない限り、私は劇場で観たい。
イオンシネマ茨木にて。
 
ブロードウェイのセレブ女優ディーディーは、落ち目になりかけ。
同じ立場の俳優バリーと共演した新作を米主要紙にこきおろされ、
自分たちの今後の俳優人生を悲嘆する。
 
起死回生を図ろうと、仲間のアンジーが今の話題を調べたところ、
インディアナ州のある高校でプロムが中止になったことを知る。
中止になった理由は、ゲイであることをカミングアウトした女子高生をPTAが認めないから。
プロムの開催の可否をPTAが決定するという横暴をひっくり返すこと、
これこそが自分たちの宣伝になるとディーディーは考えるのだが……。
 
ミュージカルとは知らずに観に行きました。
へ〜、メリル・ストリープニコール・キッドマンが出てるんか、豪華やんてな調子で。
そうしたらがっつりミュージカルで、のっけから唖然。
 
でもね、楽しいんです。
何より、こういう著名な俳優以外の若い子らがみんな、歌上手い、踊り上手い。
わりと上手いとかではなくてめちゃくちゃ上手いんです。
おかげで歌のシーンも踊りのシーンも目が釘付け。
こんなん見せてもらえたら脚本どうでもええわと思えるぐらいに上手い。
 
意地悪だった同級生たちも、ミュージカルだからかそこまで意地悪じゃないし、
簡単に考えを変える(笑)。
ゲイの女子高生エマのことをみんなで話すとき、
「罪悪感ない? 私たち、仲良かったのに」「それはゲイになる前のこと」。
「ゲイになる前とかじゃなくて、エマはずっと同じだったはずだよ」。
そう。ゲイに突然なるわけもなく、生まれついてのもの。
もっとフリーに話せる世の中にならんもんかな。
 
こういうテーマの作品を観るたびに思うこと。
母性って、すごい。
 
ちなみに、いちばん泣かされたのは、ものすごくいけずだったPTA会長の台詞です。

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『アーニャは、きっと来る』

『アーニャは、きっと来る』 (原題:Waiting for Anya)
監督:ベン・クックソン
出演:ノア・シュナップ,トーマス・クレッチマン,フレデリック・シュミット,
   ジャン・レノ,アンジェリカ・ヒューストン他
 
レトロ感満載すぎると思っていたイオンシネマ茨木ですが、
55歳からシニア料金1,100円で鑑賞できます。
いつでも1,100円だと思うと、ついつい出向いてしまうのでした。
 
原作はマイケル・モーパーゴの児童文学。
ついこの間まで名前も知らなかったノア・シュナップ主演。売れっ子だわ。
南仏が舞台なのに全編英語というところに違和感がありますが、
イギリス/ベルギー作品だし、原作者はイギリス出身だし、
まぁ気にしないことにしましょう。
 
この至って平和な村にナチスが乗り込んでくる。
 
13歳の少年ジョーは、捕虜となっている父親の留守を守り、
祖父アンリに教えを請いながら羊飼いをしていたが、
ある日、居眠りをした隙に熊に襲われかける。
慌てて羊を放置し、アンリに熊の出没を告げに走ったところ、
熊はアンリ率いる村人たちに撃ち殺され、
ジョーは熊を発見した者として褒められる。
 
羊と共に森に放置してきた飼い犬を探しに森へ出かけると、
そこには子熊の世話をするベンジャミンがいた。
母熊が殺されるに至ったのは自分のせいだとジョーは悟り、
翌日、子熊が好むであろうミルクを持ってベンジャミンを訪ねる。
 
ベンジャミンはユダヤ人で、
村では異端視されている女性オルカーダのもとに身を寄せていた。
オルカーダはベンジャミンとユダヤ人の子どもたちを匿い、
折を見て彼らをスペインへ逃亡させようとしているらしく……。
 
これの原作が児童書なの!?とちょっとビックリ。
児童書にしてはかなり辛い物語ですが、でもなるほど凄く教育的。
どこに生まれようが人は同じだよ。正しいことをしようね。
そう強く言われている気がします。
 
残念なのは、ノア・シュナップが美形で芸達者すぎるゆえ、
物語が作り物っぽく見えてしまうこと。
映画だから作り物なのは当たり前なのですが、
もうちょっとフツーの子役が演じていたならば、
史実に基づいていると信じられたかもしれません。
冒頭のベンジャミンとその娘アーニャのシーンから
ジョーが主役に転じるシーンが、飛びすぎだと感じてしまいます。
 
いずれにしても良い話であることは間違いなし。
こんなふうに、ユダヤ人を救おうとした人がいることが嬉しい。

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『リアム・ギャラガー:アズ・イット・ワズ』

『リアム・ギャラガー:アズ・イット・ワズ』(原題:Liam Gallagher: As It Was)
監督:チャーリー・ライトニング,ギャヴィン・フィッツジェラルド
 
ファンならば是が非でも観たいと思うものでしょうが、
そんな都合よく自分が好きなミュージシャンばかりが取り上げられるわけもない。
私の場合は、あまり知らないミュージシャンを知るために
その人のドキュメンタリーを観ることのほうが多い。
っちゅうか、何でも観るというだけなんですけど。(^^;
塚口サンサン劇場にて。
 
オアシスはギャラガー兄弟を中心に1991年に結成、2009年に解散したバンド。
解散の原因は兄ノエルと弟ギャラガーの不仲。
ライブ前に激しい喧嘩を繰り広げて、結局ライブ中止などということもあったようです。
 
曲作りは主にノエルが担当し、リアムは歌う一方だったから、
ノエルがいなくなってはバンドを続けようにも歌う曲がない。
独り立ちしたリアムが自分で曲を作り、紆余曲折ありながらも、
2010年代後半に入ってから10代の若者に受け入れられ、
絶大な人気を誇るシンガーとなるに至った様子が描かれています。
 
ライブのシーンは多いものの、歌目当てで観ると、通して聴ける歌はほとんどなし。
リアムの語りについては思うぞんぶん聴けます。
 
私は別にオアシスファンでもないし、すぐに思い浮かぶ曲といえば、
“Don't Look Back In Anger”ぐらい。
しかもこの曲はノエルがリードボーカルなんですね。
つまり私はリアムについて何も知らないも同然。
 
子どもたちも全員登場します。
本作の鑑賞後に、リアムの最初の奥さんがパッツィ・ケンジットで、
パッツィとの結婚1週間後に浮気、
浮気相手が速攻で妊娠して生まれたのが長女モリーだと知りました。
そしてパッツィとの間に生まれたのが長男レノン。
リアムを支え続けたニコルとの子どもが次男ジーン。
この長男と次男がそんな複雑な環境下にあったと思えないほど仲良く、
終盤ではモリーも一緒に旅行する様子が収められていてほっこり。
 
広いステージの真ん中に後ろで手を組んで棒立ち、
動き回るなんてことはなく、ただ歌う彼が若者には新鮮に映った。
なんとなくわかるような気がします。
 
だからって彼の曲を聴いてみようというところまでは思わないけど、
またひとり、映画を通じて世界的シンガーについて知ることができました。

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