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『ベルヴィル・ランデブー』を劇場で。

京都シネマにて4本ハシゴの3本目。
これが観たくて京都まで行ったようなものです。
 
『ベルヴィル・ランデブー』(2002)を観るのは2回目。
でも劇場で観たことはありませんでした。
レンタルDVDで観たとき、超気に入って速攻で購入しました。
何度も観ようと購入したはずが、
手元にあるといつでも観られると思ってしまってそれっきり。
 
それをなぜかいま劇場で上映するという。
しかも京都シネマでは500円で名画を鑑賞するという企画もあるのに、
これは普通料金。会員だから1,000円で鑑賞できるけど、なぜ今?
 
などとブツブツ思っている暇もなく、引き込まれます。
自転車でただただ走る印象しかなかったのに、
そうでしたか、こういう話でしたか。
 
両親を亡くしてばあちゃんとふたりきりの少年。
ばあちゃんが少年の気に入りそうなものを買い与えるけれど、
子犬を喜んだ以外は、ほぼ何も興味を示さず。
ところがばあちゃんが少年のために自転車を買ったところ、目を輝かす。
それから来る日も来る日も自転車を漕ぐ少年。
いつの日か“ツール・ド・フランス”に出場する日を夢見て。
 
あらためて観た『ベルヴィル・ランデブー』はやっぱり最高でした。
 
とにかくばあちゃんが凄いんです。
ばあちゃんが出れば優勝じゃないのか、どんな自転車競技も、と思うくらい(笑)。
ホイールの調整もばあちゃんが完璧にこなし、
ついでにベルヴィルの三姉妹のピアノの調律もしちゃうばあちゃん。
孫を連れ戻すために犬と旅立つばあちゃんには確実に胸が熱くなります。
 
そして何よりも楽しいのが音楽。
新聞紙と冷蔵庫と掃除機、それに自転車のホイールを使ったセッション
どれだけ心が躍ることか。
 
カエルを食べるシーンはちょっとウゲっとなりましたが(笑)、本当に楽しいアニメ。
DVD、もしかすると開封すらしていないかも。今度こそ、また観る。

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『へんしんっ!』

『へんしんっ!』
監督:石田智哉
 
京都シネマにて、4本ハシゴの2本目。
 
立教大学の映像身体学科の学生だった石田智哉監督が、
“しょうがいと表現活動”をテーマに撮った卒業制作。
それがぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞しました。
 
石田監督は身体に障害を持ち、電動車椅子で生活しています。
障害者による身体表現の可能性を追求した作品。
 
面白いと思ったのは、石田監督と同じ障害を持つ人に限らず、
聴覚障害者視覚障害者などなど、ありとあらゆる障害者に取材し、
一緒に表現活動を試みていること。
聴覚障害を持つ人と視覚障害を持つ人がコミュニケーションを取るって、
非常に難しいことのように思いますが、できるわけで。
 
見えない人が相手だと思うとやたら気を遣って、
「見る」という言葉すら使わないようにする人がいる。
その気遣いは正直に言ってウザいと思うという意見。
彼ら彼女らは目が見えていなくとも観ています。
本作では「障害」をひらいて「しょうがい」という字が使われているのに、
私がこうして障害と書くのもどうなんだと思いながら。
字の使い方ひとつについてもいろいろと考える時間。

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『83歳のやさしいスパイ』

『83歳のやさしいスパイ』(原題:El Agente Topo)
監督:マイテ・アルベルディ
 
学生時代は毎日かよっていたのに、今はちょっと遠く感じる京都。
えいっ!と気合いを入れなきゃなかなか向かえないのですが、
この日は朝から京都シネマに4本予約。行くぞ。
 
ところがオンライン予約後に電車の時間を調べたら、
なぬ!?阪急電車の京都線で人身事故があった模様。
目的地の烏丸まで阪急で行くのは無理っぽくて、
JRと京都市営地下鉄を乗り継ぐなら今すぐ出てもキワキワ。
涙目になりながら慌てて家を出たところ、
宝塚線に乗っている間に京都線復旧。間に合いました♪
 
チリ/アメリカ/ドイツ/オランダ/スペイン作品。
なんとも風変わりで楽しく、心に沁みるドキュメンタリーです。
そうだと知らずに観たら、きっとフィクションだと思うはず。
 
チリにて、ある日の求人広告。募っているのは80歳〜90歳の老人。
こんな年齢層への求人なんて、見たことがない。
応募者との面接段階から撮影されています。
 
仕事を射止めたのは83歳のセルヒオ。
4カ月前に妻に先立たれ、今は独り暮らしをしています。
彼の任務は老人ホームへの潜入捜査。
入居者である母親への虐待を疑う女性から依頼を受けた探偵事務所が、
セルヒオをスパイとして送り込もうというもの。
 
求人の条件には、年齢のほかに「電子機器を扱えること」もありました。
83歳といえどもスマホはちゃんと使えます。
それでも、音声メッセージの送信機能などは使ったことがなく、
まずその操作を覚えるのがなかなか大変。
本件を担当する探偵ロムロがイライラする姿も可笑しい。
毎日の報告は周囲にバレないよう、暗号も駆使せなあかんし(笑)。
 
さてさて、こうして潜入捜査が始まるわけですが、
ホームはほぼ女の園で、入居者は男性数名に対して女性は何十人もいる。
そこにお洒落で知的な紳士セルヒオがやってきたからさぁ大変。
セルヒオはモテモテになっちゃいます。
 
女性にちやほやされて悪い気はしないでしょうが、
セルヒオはちっとも偉そうじゃない。どの入居者にも親切で優しい。
この人、カウンセラーの資質があるんじゃないかと思うほど。
自分の記憶が薄れて行くことに気づいて苦しむ女性とのやりとりなど、
あまりにも温かく切なくて、涙なしでは聴けません。
 
しかしこんなふうに入居者の誰も彼ものことをセルヒオが案ずるから、
肝心の対象女性の捜査は遅々として進まない(笑)。
 
「ターゲットは手厚く介護されている。
僕がこんなことを言う立場にないのはわかっているが、この捜査に意味はあるのか。
虐待を疑っていると言いながら、娘は一度も面会に来ないじゃないか」。
 
ユーモアに満ちていて、かつ介護についても考えさせられる良作でした。
ぜひぜひご覧ください。

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『食の安全を守る人々 未来の子どもたちのために』

『食の安全を守る人々』
監督:原村政樹
 
第七藝術劇場にて、前述の『東京クルド』とハシゴ。
コロナのせいかおかげか、2本の間隔が少し長くて30分ある。
斜向かいのがんこ寿司十三総本店に駆け込み、
にぎり寿司のランチを食べることができました。
お腹も満たされたところで本作を鑑賞。
 
ターゲットになっているのはモンサント社とそれを買収したバイエル社。
ご存じの方はここにあれこれ書くまでもないこと。
ご存じでない方は『モンサントの不自然な食べもの』(2008)をまずはご覧いただきたい。
 
何でも枯らす「画期的」な除草剤“ラウンドアップ”。
それを体内に吸い込めば、子どもは学習障害を起こしたり自閉症になったり。
大人も癌になったりするけれど、それをラウンドアップのせいだとは思わない。
 
健康被害を及ぼすものとして他国では使用が禁止されている添加物も、
日本にはバンバン輸入されている。
アメリカでたくさん作っているから日本はそれを使いなさい。
そう言われてすべて受け入れているなんて、完全なカモですよね。
アメリカのみならず、オーストラリアも自国では使用不可のものを
日本への輸出品には振りかけているらしい。
日本人はそんなことが起きているとは思いもせず疑いもしない。
どれだけお人好しなんだか。
 
モンサント社のラウンドアップで具合が悪くなる人がいたら、バイエル社製の薬がある。
バイエル社がモンサント社を買収した今、自社製品で健康を害するように仕向けて、
自社製品の薬を売りつけるわけですね。そりゃ儲かる。
 
コロナ禍、家呑みする人が増えてレモンがものすごく売れているそうですが、
そのレモン、大丈夫ですか。

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『東京クルド』

『東京クルド』
監督:日向史有
 
第七藝術劇場にて。
十三は駐車場料金が安くてありがたい。日中の最大料金が500円ですもの。
これなら電車で行くより断然安い。
 
お恥ずかしながら、タイトルを見たとき、「クルド」の意味すらわからず。
クルドはクルド人のこと。
トルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニアにまたがる地域に居住。
本作に登場するのはトルコから来日したクルド人青年ふたり。
トルコで命の危険を感じて日本に逃げてきました。
 
青年たちの名前はオザンとラマザン。
ふたりとも家族と共に日本に来て長い年月が経ちますが、
難民申請を受け入れられず、過酷な状況に置かれています。
日本語堪能、漢字の読み書きもできる。
でもビザがないから仕事することは許されません。
 
ラマザンは通訳になることを目指し、英語も勉強中。
しかし難民申請中の彼は専門学校に入学しようと問い合わせても断られます。
オザンは容姿を生かして芸能プロダクションに登録しようとしても、
やはり難民申請中の身では駄目だと断られる。
 
難民だとは認められるまではビザは下りない。
それまで仕事するのは禁止。ならばどうやって毎日食べていけばいいのか。
 
入国管理局の職員は、「それはそっちで考えることでしょ。
他の国へ行ってよ」と平然と言い放ちます。
彼らの仕事は難民認定せずに皆を生まれた国へ送り返すこと。
戻れば殺されるかもしれないのに。
 
ラマザンは心が折れそうになりながらも言います。
「勉強するのは無駄かもしれない。でももしこの先ビザが下りたとき、
あのとき勉強しておけばよかったとは思いたくない」。
やらなかった後悔よりもやった後悔を選んでいます。
 
確かに、日本に来たいという難民をすべて受け入れていたらキリがないのかもしれません。
でも、こんなにも切実な状況にある若者たちをなんとかできないものなのか。

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