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『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』

『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』(原題:Joao, o Maestro)
監督:フィリップ・ヴァン・レウ
出演:アレシャンドリ・ネロ,ダヴィ・カンポロンゴ,ホドリゴ・パンドルフォ,
   カコ・シオークレフ,フェルナンダ・ノーブリ,アリンニ・モラエス他
 
テアトル梅田にて、『シリアにて』とハシゴ。
 
小学校入学時から高校1年生の途中まで、ピアノを習っていました。
弾かなくなってもうずいぶん経ちますが、それでもピアノは大好きです。
ゆえにピアニストの映画は絶対に見逃せません。
 
ブラジル作品。
1940年生まれのピアニスト、ジョアン・カルロス・マルティンスの人生を映画化。
 
ジョアンは決して富裕とは言えない家庭に育ち、ピアノの才能に目覚めます。
ピアノのレッスン代も家計を苦しめていたであろう経済状況ですが、
サッカーにいそしむ兄弟とは違ってピアノにしか心を開かない息子を見て、
両親がピアノを続けさせた結果、わずか13歳でプロの演奏家としてデビュー。
20歳にしてカーネギーホールで演奏を果たしたまさに天才です。
 
幼少期の彼は、何を考えているのかわからない。
ただピアノだけは好きで好きでたまらない様子。
楽譜の最初のページを覚えてきなさいとピアノの先生から言われ、
最初のページどころかほぼ1冊40ページ近くを覚えてきたジョアン。
 
スポーツでも音楽でも、先生との出会いは大事ですね。
この先生のいいところは、彼の才能を見抜いてすぐに、
「この子はすぐに私より上手くなる。私が教えている場合ではない」と、
有名かつ優れた人にジョアンの指導を託したところ。
別れを寂しがるジョアンに、「あなたの先生だったことを自慢するから」って、
最初からもう泣かせます。あ、そんな泣くような作品ではないですけど。(^^;
 
成長してからのジョアンも賢いんだか抜けているんだかわからない。
初めて海外に招かれた折にはまだ童貞
招待主が用意してくれたホテルには見向きもせず、
タクシーの運ちゃんに「女性と遊べるところに連れて行って」と頼みます。
売春宿に泊まることを決めて3日間入り浸り、
コンサート前日にリハーサルがあることをやっと思い出す始末。
そのときには売春婦のお姉さんたちが新聞で彼の素性を知り、
コンサートに行きたいと懇願、従姉妹として至って上品に着席。
 
こんな感じで、もうハチャメチャ。
でも、誰も彼を騙そうなんて思わないところを見ると、愛すべき人柄なのでしょう。
しかし結婚して子どもに恵まれるも、いい夫、いい父親にはなれない。
酒にも女にも目がなくて、しょっちゅうふらふら。
 
好き勝手していても人は寄ってくるし、妻に逃げられたってなんてこたぁない。
そう見えましたが、人生そう上手くは行かない。
家の目の前で始まったサッカーにちょっと参加したさいに、大怪我を負ってしまう。
右手のうち指3本に障害を抱え、コンサートをキャンセルすることに。
リハビリしても元に戻らず、鋼鉄のギプスをつけて演奏。
血まみれになってピアノを弾く様子は凄絶です。
 
これで終わりかと思ったら、さらにまだ酷い話が待っている。
どんな身になっても音楽から離れようとしなかったジョアン。
音楽への執念を、そして愛情を感じました。
 
一旦はピアノの演奏をあきらめたジョアンがまたピアノに戻るとき。
ご近所さんの迷惑にならないようにと、無音鍵盤を購入して練習するシーンが好き。
無音でもジョアンの練習は激しいから、近所の住人はタイプライターを叩いていると勘違い。
ジョアンは作家だと思われます。
どうせ苦情を言われるならと、無音鍵盤を止めてグランドピアノを購入。
練習中にドアがノックされ、「はいはい、うるさいんでしょ」と言おうとしたら、
「窓を開けて弾いてほしい。聞こえないから」。笑ったシーンです。
 
本作中の演奏は、すべてジョアン本人の当時の演奏を録音したものだそうです。
やっぱりピアノの映画は止められない。

—–

『シリアにて』

『シリアにて』(原題:Insyriated)
監督:フィリップ・ヴァン・レウ
出演:ヒアム・アッバス,ジャマン・アブー・アブード,ジュリエット・ナヴィス,
   モフセン・アッバス,ムスタファ・アル・カール他
 
そろそろ1カ月前の話になってしまいますけれども。
シルバーウィーク中は毎日映画を観るつもりが、体調を崩しました。
単純に疲れていたので、ゆっくり昼寝する日まで設けた翌日、
もう映画を観に行ってもええやろとテアトル梅田へ。
 
ベルギー/フランス/レバノン作品。きつかった。
 
内戦が続くシリアの首都ダマスカス。
アパートメントの一室で息を潜めて暮らすある家族。
仕切っているのは中年女性のオーム。
戦地に赴いた夫に代わり、家族を守ろうと必死。
 
室内にいるのは、オームと子ども3人、義父、家政婦と、
娘に会いに来たまま帰れなくなった彼氏。
そして、階上の部屋で爆撃に遭ったために住居を失った家族。
その家族は若夫婦と生まれたばかりの赤ん坊で、
夫婦は知人の仲介で今晩ベイルートへ逃亡することを決めている。
 
ところが、若夫婦の夫サリームが出かけたところ、
スナイパーに撃たれて車の影に倒れ込む。
家政婦のデルハニがまさにその瞬間を目撃し、
震えながらオームに知らせたところ、
オームはサリームの妻ハリマには絶対に知らせるなと言う。
 
まだ生きているかもしれないのに。生死を確認しないのか。
とにかくハリマに知らせるべきではないのか。
だからと言ってデルハニには表に出る勇気はなく……。
 
86分と短めの作品なのに、濃い、重い。
家政婦を雇っているぐらいですから、そこそこ富裕だと思われます。
家の中の家具などを見てもチープな感じはしない。
とっとと安全な場所へ移ることはできなかったのかとも思うけれど、
オームはここは自分の家だからと決して動こうとしません。
 
夫が殺されたであろうことを知らされないままのハリマが哀れ。
住人のいなくなった部屋に盗みに入る男たちがオーム宅に押し入ったとき、
オームは家族全員に台所に隠れるように言いますが、
隠れ損ねたハリマが男たちに強姦されかけてもオームは出て行かない。
相手は2人なんだから、家族全員で反撃すればいいのに、酷いオバハンやと思ったりも。
でもそれは内戦のない平和な国で生まれ育ったから思うことで、
きっとシリアの人たちはいつも死をそばに感じ、生き抜こうとしているのでしょう。
 
戦争の終わるときがわかっていればまだいいのに。
いつこれが終わるかわからないまま暮らすって、つらすぎる。

—–

『もったいないキッチン』

『もったいないキッチン』
監督:ダーヴィト・グロス
 
シネ・リーブル梅田にて、前述の『行き止まりの世界に生まれて』に続いて。
 
「フードアクティビスト」なるものがあるそうで、
オーストリア人のダーヴィト・グロス監督の肩書きはそれ。
自前のキッチンカーでヨーロッパ各地を巡り、
廃棄食材を用いて料理を作る旅を記録しているそうです。
食品ロスについて考えてみましょうということ。
 
今回は日本にやってきた同監督。
ラジオパーソナリティで通訳・翻訳家でもある塚本ニキを相棒に、
東京、福島、京都、大阪、熊本、福岡等々を巡ります。
「もったいないキッチン」と書かれたキッチンカーに乗って。
 
日本の食品ロスは世界トップクラスらしい。
毎日1人おにぎり1個分は確実に食材を廃棄している。
グロス監督とニキさんは、ローソンでその日廃棄予定の商品を分けてもらいます。
さまざまな食品を見て何がつくれるか相談した結果、
キッチンカーで豆腐ハンバーグをメインにしたお料理完成。
バランスもよさそうな食事になりました。
 
福島の被災地でやっと仕事を再開した農家からは、
ネギ坊主の出たネギを受け取り、地元のフランス料理店へ。
ネギ坊主ごと煮込んでおいしい出汁を取ったり、ドレッシングをつくったり。
震災がなければ地元の農家とこんな関係は築けなかったとシェフ。
 
京都の野草研究家のおばあちゃんを訪ねたときに、
「スーパーでは買う食材がない。野草さえ食べていれば健康」みたいな発言があり、
う〜ん、野草だけあればええってことはないなぁ、
それぞれの食材をつくって生活している人がいるんだからと思いましたけれども。
 
お寺の住職が自らつくる、捨てる部分まったくなしのお料理が面白かった。
茄子のヘタも食べられるのですね。
あいりん地区のアート×料理にも目を惹かれ。釜ヶ崎は熱い。
 
なんか、見るからに人の好さそうな監督の顔が気になって(笑)、
そんなに好きだと言えるほどの作品ではなかったのですが、
食品ロスについて考えるきっかけにはなります。

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『行き止まりの世界に生まれて』

『行き止まりの世界に生まれて』(原題:Minding the Gap)
監督:ビン・リュー
 
TOHOシネマズ梅田からシネ・リーブル梅田へ移動して。
 
サンダンス映画祭ではブレイクスルー映画製作米国ドキュメンタリー部門特別審査員賞、
第91回アカデミー賞では長編ドキュメンタリー部門にノミネートされた作品です。
オバマ元大統領が2018年のお気に入りの1本として本作を挙げています。
これがデビュー作とは、凄い新人がいたもんだ。
 
アメリカ・イリノイ州ロックフォード“ラストベルト(錆びついた工業地帯)”と呼ばれる地域。
ここで生まれ育った3人のスケートボード仲間の12年間を
3人のうちのひとりであるビン・リューがカメラに収めています。
少年時代からずっと撮りつづけていたものがこうして1本の長編作品になりました。
 
仲良し3人組だけど、ザックは白人、キアーはアフリカ系アメリカ人。
監督のビンは中国系アメリカ人。人種も生い立ちも違う。
 
ザックは交際中の彼女との間に子どもができ、息子のことは可愛くてたまらないけれど、
ザックも彼女もまだ遊びたいさかり。
ふたりとも働かないと生活できないから、その日仕事のないほうが息子の世話をする。
仕事の後は友だちと1杯飲みたくなったりもして、毎日お互いを責めて喧嘩ばかりしています。
 
母親と暮らすキアーは、すでに亡くなっている父親との確執を払拭できない。
父親のことが怖くて仕方なくて、墓参りに行くこともできず。
そんなキアーにカメラを向けるビンも、継父から酷い暴力を受けていた過去があります。
 
イリノイ州では家庭内暴力の起きている家が異様に多いそうで、驚愕。
映像で見るかぎりは廃れた雰囲気もなく、スラムのようでもないし、
わりといい環境に見えましたから。
 
本作を観る前、私が不思議だったのは、なぜみんなスケボーをするのかということでした。
最近観たばかりの『mid90s ミッドナインティーズ』もそうだったし、
本作では、その理由がちょっとわかった気がします。
ボードの裏側にはさまざまな言葉が書き込まれていて、その言葉を支えに皆生きている。
スケボーさえしていれば、つらいことを忘れて生きていける。
 
瑞々しさに溢れたドキュメンタリー作品でした。

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アニメーション映画『思い、思われ、ふり、ふられ』

アニメーション映画『思い、思われ、ふり、ふられ』
監督:黒柳トシマサ
声の出演:島崎信長,斉藤壮馬,潘めぐみ,鈴木毬花他
 
実写版は先々月に鑑賞。アニメ版も公開されたのでいそいそと。
TOHOシネマズ梅田にて。
 
あらすじは実写版となんら変わりません。
ただ、非常に細かい部分は異なります。
 
由奈が理央にひとめぼれしたのはマンションのエレベーターの中ではなくて、
ぼんやり歩いていたところ、犬のウ○コを踏みそうになって理央が止めてくれたとか。
朱里が由奈と友だちになったきっかけも、駅でお金を借りようとしたわけではなく、
引っ越した日に鍵を持って出かけるのを忘れて困っていた朱里が由奈に声をかけたとか。
彼女たちの出会いについてはアニメ版のほうが詳しい。
 
序盤の由奈は自信なさすぎで、アニメ声ということもあるからか、
かなりイライラさせられましたが、途中からは気にならず。
いい子ばっかりというのは安心して見ていられるものです。
 
しかしこの展開はやっぱり驚きます。
絶対朱里と理央がくっつきそうなのに、別の組み合わせで2カップルできあがるとは。
すごく斬新。フツーの恋愛ものにはあるまじき展開でしょ(笑)。
 
そういえば、実写版では和臣のことを朱里は「乾くん」と呼んでいたと思うのですが、
アニメ版では「和臣くん」なのですね。何故。
あと、和臣が好きな映画の話も実写版のように具体的には出てこない。
黒柳トシマサ監督自身の『いつか、世界の片隅で』(2013)が映るシーンはありましたが、
この映画って、どこかで観られるのかなぁ。
 
実写版のキャストたちが声のカメオ出演を果たしていたようだけど、
どこに登場していたのかひとりもわかりませんでした。残念無念。(^^;

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