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『アイ・アム まきもと』

『アイ・アムまきもと』
監督:タナダユキ
出演:阿部サダヲ,満島ひかり,宇崎竜童,松下洸平,でんでん,
   松尾スズキ,坪倉由幸,篠井英介,宮沢りえ,國村隼他
 
109シネマズ箕面にて、前述の『マイ・ブロークン・マリコ』の次に。
 
リメイクだったんですか、これは。
オリジナルの『おみおくりの作法』(2013)も観ましたけれど、
イメージが違いすぎて、まさかリメイクだとは思わなんだ。(^^;
 
小さな市役所。
“おみおくり係”に就くたったひとりの職員・牧本(阿部サダヲ)の仕事は、
いわゆる孤独死した人を埋葬し、遺品を整理すること。
しかし、故人をきっちりと送り出そうとするあまり、仕事が遅れがち。
 
直属の上司(篠井英介)は牧本の特性を生かした職務だとして理解を示すが、
いつまでも遺体を引き取りにこない牧本に警察官(松下洸平)は怒る。
やがて異動してきた新任の局長からは、おみおくり係の廃止を言い渡される。
 
牧本の最後の仕事となったのは、
偶然にも牧本が入居する向かいのマンションで孤独死した蕪木(宇崎竜童)の案件。
警察の調べでは身寄りはいないとのことだったが、
蕪木をひとりでも多くの人で見送りたいと考えた牧本は、
蕪木の遺品の中にあったアルバムから彼ゆかりの地を探し出し……。
 
オリジナルで主演したエディ・マーサンもたいがい変ではあったと思いますが、
こちらの牧本はそれに輪をかけて変。
これは言っていいことなのかどうかわからないけれど、明らかな発達障害
相手との噛み合わない会話に笑ってしまうこと数回。
でもこの愚直だと感じる物言いがとても良いうえに、
彼が話す相手がみんな心根の優しい人だというのがいい。バカ局長を除いて。
 
死んじゃったら、そのバカ局長の思うつぼ。
おみおくり係が廃止になってしまうじゃあないかとガックリ。
 
葬儀は、所詮遺族のためのものだとは思います。
それでも、遺された人が気持ちの整理をつけるために、
亡くなった人への思いを伝えるために、
亡くなった人の思いを感じ取るために、必要なものなのかなって。

—–

『マイ・ブロークン・マリコ』

『マイ・ブロークン・マリコ』
監督:タナダユキ
出演:永野芽郁,奈緒,窪田正孝,尾美としのり,吉田羊他
 
109シネマズ箕面にて。
 
原作は平庫ワカの同名コミック。
第24回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞受賞作品なのだそうです。
タナダユキ監督はたぶん私、わりと好き。
 
ブラック企業に勤めるシイノトモヨ(永野芽郁)は、外回り中に入った飲食店で、
親友のイカガワマリコ(奈緒)が自殺したというニュースを目にする。
 
幼い頃から実父(尾美としのり)による虐待を受け、
高校生のときには強姦までされていたマリコ。
仕事を放り出して彼女が一人暮らししていた部屋を訪ねると、管理人が清掃中。
葬儀は執りおこなわれることなく直葬され、遺骨は実家にあるらしい。
 
あんな父親に弔われてマリコが喜ぶわけがない。
シイノがマリコの実家に乗り込むと、そこには遺影を見つめる父親と、
その再婚相手のタムラキョウコ(吉田羊)がいた。
 
シイノはマリコの遺骨を掴み、もう片方の手には包丁を握りしめ、
遺骨を奪い返そうとする父親に凄んでその場から飛び出す。
 
今からでもマリコのためにできることはないかと考えたシイノは、
マリコが行きたがっていた岬へと旅に出るのだが……。
 
面白いのは、登場人物のバックグラウンドがほとんど描かれていないこと。
マリコがどういう目に遭ってきたのかはわかるけど、
主人公のシイノの両親やマリコ以外の友だちはまったく出てこないし、
こんなブラック企業に勤めることになった理由もわかりません。
すべて想像するしかありません。そこが面白い。
 
マリコの父親も、彼と再婚したキョウコも、どういう人なのかまるでわからず。
ただ、キョウコがいい人だったことはわかる。
あの人がもっと早くマリコの母親になっていれば。どんだけいい人なんだおばさん。
そんなシイノの台詞がありますから。
 
旅先でひったくりに遭ったシイノを助ける青年マキオ(窪田正孝)も可笑しい。
「大丈夫ですか」(マキオ)「大丈夫なわけねぇだろ」(口が悪いけどこっちがシイノの台詞)
「大丈夫に見えますけど」(マキオ)。大丈夫に見えてほしくないものなんですね、人って。
人は自分が思うよりも大丈夫なものなのかなぁなんて。
 
マキオもなんだかワケありで、死にたくなるほどの過去があったようですが、
それについては何の説明もないから、想像するしかない。
何があったかわからなくとも、何かとても大変なことがあったのがわかる。それだけでじゅうぶん。
 
「もういない人に会うには、自分が生きているしかないんじゃないでしょうか」。
自分の中の思い出と、自分を大切に。

—–

『3つの鍵』

『3つの鍵』(原題:Tre Piani)
監督:ナンニ・モレッティ
出演:マルゲリータ・ブイ,リッカルド・スカマルチョ,アルバ・ロルヴァケル,
   エレナ・リエッティ,アレッサンドロ・スペルドゥーティ,デニーズ・タントゥッチ他
 
シネ・リーブル梅田にて、2本ハシゴの2本目。
ナンニ・モレッティ監督によるイタリア/フランス作品です。
 
ある夜、1階の部屋に車が突っ込み、途中の路上にいた女性が亡くなる。
 
運転していたのは3階に住む裁判官夫婦のヴィットリオとドーラの息子アンドレア。
アンドレアは飲酒運転のうえ、人を轢き殺したというのに反省の色まるでなし。
道楽息子に手を焼くヴィットリオはもう御免だと思っているが、
ドーラはなんとか息子の罪を軽くできないものかと考えている。
 
暴走する車を目撃したのは2階に住む妊婦モニカ。夫は出張で留守にしがち。
この夜、産気づいたためにタクシーを拾いに表に出たときに事故を見る。
自分のことで手一杯だから、現場をあとにして病院へと向かい、無事出産。
 
車が突っ込んだ1階に住んでいるのはルーチョとサラ、その娘フランチェスカ。
共働きの夫婦は、出かける間、フランチェスカを見てもらおうと、
向かいの老人夫婦レナートとジョアンナに娘を預けるのだが……。
 
イライラします。誰も好きになれません(笑)。
アンドレアは言うまでもなく、ろくでなし。
厳格な父親のもと、鬱屈した少年時代を送ってきたのでしょうが、
そんな父親に自分の罪を消してもらおうとする浅はかさ。
それが無理だとわかると父親に暴力を働きます。
息子を溺愛するのは致し方ないとして、ドーラの言動も道徳観に欠けている。
 
モニカには強迫観念症の母親がいて、自分にもその遺伝子があるのではと心配しています。
妙なもの、たとえば部屋の中にカラスが見えたりして落ち着かない。
夫と犬猿の仲の義兄が悪事を働き、夫の留守中に訪ねてきた義兄を拒絶できない。
 
ルーチョはレナートがフランチェスカに性的ないたずらをしたと疑っていて、
検査で何もなかったことが知らされても信じようとしません。
どうしても何かあったことにしたいように思われて腹立たしい。
 
さらにイラつくのがレナートの孫娘シャルロット。
ルーチョの疑念を知らずに、彼に色仕掛け。
思いっきり誘っておいて、ルーチョが自分に気がないのを知ると、レイプされたと警察に訴えます。
 
希望を残す最後だという見方もあるのでしょうが、私には甘く見えて仕方がない。
睡魔には襲われなかったから面白かったということになるけれど、いい気分ではありません。
 
原作はイスラエルの作家エシュコル・ネヴォによるもので、
モレッティ監督は冒頭からしてずいぶんアレンジしているそうです。
読んでみたい。

—–

『秘密の森の、その向こう』

『秘密の森の、その向こう』(原題:Petite Maman)
監督:セリーヌ・シアマ
出演:ジョゼフィーヌ・サンス,ガブリエル・サンス,ニナ・ミュリス,
   ステファヌ・ヴァルペンヌ,マルゴ・アバスカル他
 
シネ・リーブル梅田にて、2本ハシゴの1本目。
 
『燃ゆる女の肖像』(2019)が強烈な印象を残しているセリーヌ・シアマ監督。
それはそれはとても気に入って、今後も楽しみにしたい監督になりました。
しかし、2020年のセザール賞(フランスにおけるアカデミー賞のようなもの)の授賞式で、
ロマン・ポランスキー監督の最優秀監督賞受賞が発表されたとき、
それに抗議するために退席した人々の中にシアマ監督もいたと知り、なんだかなぁと思いました。
 
そんなこともあって、本作を観るかどうか少し迷ったのですが、観てよかった。
やはりこの監督の映画は素晴らしい。
 
最初のシーンは、どこかの施設内に見えます。
可愛い女の子が各部屋を回り、入居者にお別れの挨拶をしている。
少女自身が病気で入院でもしていて、退院するのかなと。
少女は施設を出ると、母親が運転する車の後部座席に乗り込みます。
 
全容が見えてくるのは数十分経つ頃でしょうか。
少女がいたのは老人介護施設で、彼女の祖母が亡くなったのだとわかる。
母親と共に少女がやってきたのは祖母が暮らしていた家で、
主のいなくなった家の片付けを始めるのでした。
 
さて、この少女は8歳のネリー。
母親は自らの幼少時代の思い出が詰まった実家を片付けるうち、
それに耐えかねたのか、ネリーと父親を残してどこかへ行ってしまう。
 
家の片付けを続ける父親。
ネリーが母親から聞いていた森を散策していると、そこには自分と同じ年齢の、
しかも自分によく似た少女マリオンの姿が。すぐに仲良くなるふたり。
 
この先の展開には意表を突かれました。
 
マリオンに誘われてついて行ってみると、彼女の家は祖母の家と瓜二つ。
しかもマリオンの母親は具合が悪そうで、寝込んでいます。
傍らには杖があり、彼女は足が悪いことがわかる。
 
マリオンこそがネリーの母親で、寝込んでいる女性はネリーの祖母。
その事実に気づいたネリーは、最初こそ驚きますが、母親と交流を図るのです。
 
やがてネリーは「私はあなたの娘なの」とマリオンに打ち明ける。
マリオンもそれを受け入れて、祖母の家の片付けが済むまでの数日間を過ごします。
 
ネリーとマリオンを演じるのは双子、ジョゼフィーヌ&ガブリエル・サンス姉妹。
愛らしくて、賢くて、楽しい表情も寂しい表情も何でもできる。
冒頭のネリーが後部座席から母親の口元へお菓子を持って行くシーンなど、なんと幸せなことか。
 
タイムスリップしたわけでもないのに、森の中で会ったのは子ども時代の母親。
コメディにしかなりそうにもないところ、静謐で純粋で穏やかな作品になっています。
とても良かった。

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『ダウントン・アビー/新たなる時代へ』

『ダウントン・アビー/新たなる時代へ』(原題:Downton Abbey: A New Era)
監督:サイモン・カーティス
出演:ヒュー・ボネヴィル,ジム・カーター,ミシェル・ドッカリー,エリザベス・マクガヴァン,
   マギー・スミス,イメルダ・スタウントン,ペネロープ・ウィルトン他
 
封切り日に109シネマズ箕面にて鑑賞しました。
 
世界的大ヒットTVシリーズとのことですが、TV版は一度も観たことがありません。
劇場版第1弾の『ダウントン・アビー』(2019)でその存在を知り、
先に吹替版を観てたいそう面白かったから字幕版も観たのでした。
今回はなぜか吹替版の上映はなくて、字幕版のみ。迷わなくて済みます(笑)。
 
監督は第1弾のマイケル・エングラーからサイモン・カーティスにバトンタッチ。
顔ぶれは前作と同じですが、たいして覚えてもいないのですよねぇ。
と思って観はじめたら、『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)のアレン・リーチ演じるトムが

誰ぞと結婚するシーンから始まります。えーと、相手は誰だっけ。ルーシー!?
イメルダ・スタウントン演じるモードが花嫁の母なのかしらと思いましたが、
そうじゃないのですね、ルーシーはモードの侍女なのですか。へ~っ。
で、名前がしょっちゅう出てくるシビルって誰よ。
 
などなど、気になる名前はいろいろあるのですけれど、
人物関係を逐一追っていると話についていけなくなりそうなので、どうでもええということで。
 
マギー・スミス演じるたぶんこのお屋敷でいちばん偉い婆様、ヴァイオレット。
遠く離れた「おフランス」、美しい南仏の別荘を所有していたモンミレール侯爵が他界し、
なぜだかヴァイオレットに遺すと遺言していたことから大騒ぎに。
ヴァイオレットとモンミレール侯爵はいったいどないな仲やってんと皆が邪推します。
 
納得が行かないのはモンミレール侯爵夫人。
どうして夫は私に遺さずにどこの誰とも知らん婆ぁに遺しとるねんというところ。
この侯爵夫人をナタリー・バイが演じています。
 
しかしその息子は寛容というのか出来た男というのか、
父親の遺志に従うのは当たり前のことだと、クローリー一族を当該物件の別荘に招待。
高齢のヴァイオレットに代わり、娘や息子夫婦が南仏へと向かうのでした。
 
一方、ダウントン・アビーでは映画のロケが始まっています。
無声映画の時代、ヒュー・ダンシー演じる著名監督が、屋敷でロケをしたいと言う。
クローリー家の主ロバートは断ろうとするけれど、
場所を貸すことで金が入るなら、屋根裏の雨漏りが修理できるじゃないかと喜ぶ女性陣。
 
こんな感じで、ヴァイオレットのかつての恋愛疑惑を解く話と映画のロケ話が同時進行。
TV版を観ていなくてもじゅうぶんわかるし、前作の話を忘れていても大丈夫。
この雰囲気を味わうだけでも楽しいです。
 
ヴァイオレットがついに臨終。というのはネタバレになりますか。
イケメンでゲイの執事トーマスは映画の主演俳優についていく決意をして辞職してしまうし、
こんなふうに人が入れ替わり立ち替わりしながらまだ続いて行くのでしょうね。

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