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『PLAY! 勝つとか負けるとかは、どーでもよくて』

『PLAY! 勝つとか負けるとかは、どーでもよくて』
監督:古厩智之
出演:奥平大兼,鈴鹿央士,山下リオ,小倉史也,花瀬琴音,斉藤陽一郎,山田キヌヲ,
   唯野未歩子,西間木冠,味元耀大,和田聰宏,三浦誠己,OooDa,平岩康佑他
 
イオンシネマ茨木にて2本ハシゴの2本目。前述の『ゴールド・ボーイ』の次に。
 
監督は『ロボコン』(2003)や『奈緒子』(2008)、『のぼる小寺さん』(2020)の古厩智之
eスポーツを映画化した作品は日本初なのだそうです。
キャラクタークリエイターの広井王子が企画とプロデュースを務めているとのことですが、
私はそれがどういう人なのかも知らなければeスポーツのことも全然知らない。
さらにはVTuberの胡桃のあが出演していることでも話題になっているそうだけど、

封切り日だったこの日の客は私ひとり。今年初めての“おひとりさま”でした。
 
何はともあれ、予告編がとても面白そうだったので、私は観る。
キャストもいいのだから、もっと宣伝すればよかったのに。
 
徳島県の阿波工業高専(実際は阿南工業高専らしい)の電気科3年、田中達郎(鈴鹿央士)は、
バスケットボールの有力選手だったが、手首を傷めたせいで辞めざるをえなくなる。
授業を聴いている様子はほとんどないのに、担任教諭の木村佳浩(三浦誠己)が呆れるほど学業優秀。
天才ゲーマーでもある彼はバスケよりも没頭できるものを見つけようとしているのかどうか、
全国高校eスポーツ大会の開催を知り、出場を決意する。
 
しかし、出場するには3人1組のチームが必要で、あと2人集めなければならない。
達郎はたまたま近くの席に座っている同級生でゲームオタクの小西亘(小倉史也)に声をかけると、
亘が「ほかにどうしても見つからなければ名前を書いてもいい」と言っているにもかかわらず、
すぐに応募書類に亘の名前を書き加える。
 
もう1人、達郎が貼ったポスターを見て連絡してきたのが、情報科2年の郡司翔太(奥平大兼)。
金髪でモテるが、その実は奥手。
同級生の松永紗良(花瀬琴音)が自分に想いを寄せていることは明らかなのに応えられない。
ふと目にしたポスターのキャッチコピーに惹かれ、応募したいと考える。
 
これで3人集まったものの、亘と翔太はeスポーツが何なのかも知らない。
達郎から「人ではなく車でプレーするサッカー」と聞き、習うより慣れろで特訓を開始するのだが……。
 
いずれも能天気な若者というわけではありません。
達郎の父親は飲んだくれで、酔っぱらって寝ている姿しか見ることがない。
母親はいつも疲れた表情で達郎に構っている余裕なし。
亘の家庭は一見平和ですが、友だちはひとりもいないことを家族は知っていて腫れ物に触るよう。
翔太の父親はDV気質で母親は離婚したがっています。
歳の離れた弟たちを守ろうとしていることが翔太の様子からわかります。
 
家には居場所がなくて、相談相手は誰もいないし、それを深刻に考えないように振る舞っていた。
そんな3人が集まって、車でサッカーするゲームにのめり込みます。
 
なにしろ私は大スクリーンを独占してたったひとりで本作を観るはめになったから、
肝心の全国大会のシーンではちょっと盛り上がれないままでしたが、
そこに至るまでのシーンはとてもよかった。予選のほうが楽しかったかも。
 
木村先生役の三浦誠己はバイプレイヤーですよね。本作でもめっちゃ良い味。
 
なんだかんだで、ザ・青春。

—–

『ゴールド・ボーイ』

『ゴールド・ボーイ』
監督:金子修介
出演:岡田将生,黒木華,羽村仁成,星乃あんな,前出燿志,松井玲奈,北村一輝,江口洋介他
 
イオンシネマ茨木にて2本ハシゴの1本目。
 
中国の人気作家・紫金陳(ズー・ジンチェン)のベストセラー小説『悪童たち』を日本で映画化。
監督は『DEATH NOTE デスノート』(2006)の金子修介
 
莫大な資産を持つ事業家である東家に婿入りした昇(岡田将生)は、
妻の静(松井玲奈)から離婚を突きつけられ、義両親の殺害を決行する。
崖から突き落として事故による転落死に見せかけ、それが成功したかに思われたが、
犯行の瞬間を偶然動画に収めていた少年少女3人がいた。
 
中学生の朝陽(羽村仁成)と、彼を頼って家出したきた浩(前出燿志)と夏月(星乃あんな)は、
昇を脅して金を取ることを思いつく。
朝陽は親が離婚したせいで学費の工面に悩まされているし、
浩と夏月はこのさき自分たちだけで生きていかねばならない。
どちらの悩みも金があれば解決できることだと考え、昇に連絡して金を求める。
 
一方、静は両親の死は絶対に昇の犯行だといとこの刑事・巌(江口洋介)に主張。
取り合おうとしない巌に、もしも今後自分が死ぬようなことがあれば、
それは昇に殺されたのだと思ってくれと言う。
そして実際に静は車の運転中に事故に遭って死亡する。
 
やっと昇のことを疑いはじめた巌は、昇と朝陽が会っていることに気づくのだが……。
 
なぜ沖縄を舞台にすることにしたのかわかりませんが、
東なしではこの土地は潤わないことから警察もなかなか口出ししにくいという設定。
 
岡田将生演じる昇がとにかく卑劣な奴で、気の毒な環境にある朝陽たちが頑張る話かと思ったら、
どうですか、この想像を裏切るめちゃめちゃ嫌な展開。
いや〜、朝陽みたいな奴には『おまえの親になったるで』とは言えませんね。
生まれついての悪人というのはいると思います。そして彼がそう。
 
朝陽の本性を知ってからというもの、不気味なことこのうえない。
彼をいい奴だと信じて巻き込まれたあとの2人が可哀想。あ、ネタバレだ。(–;
大人をナメるなよと言いながら朝陽をナメていた昇すら少々可哀想になりました(笑)。
こんなモンスターを産んでしまった母親役に黒木華。彼女の心を思うとつらい。
 
途轍もなく嫌な話です。面白かったけど。

—–

『おまえの親になったるで』

『おまえの親になったるで』
監督:北岸良枝
 
前述の『月』を観たあと、5階のシアターセブンから6階の第七藝術劇場へ移動して。
平日だというのに満席。立ち見も出ようかという勢いです。
この週で一応上映が終了したのですが、これはまた再上映するでしょうね。
 
ご存じでしたか、“日本財団職親プロジェクト”。
2013年に「お好み焼 千房」の代表取締役・中井政嗣氏が発起人となり、
関西の中小企業7社が集まって発足したプロジェクト。
元受刑者に住まいや仕事を提供して再犯を防ごうというものです。
 
このプロジェクトの参加者のひとりが、大阪の建設会社の社長・草刈健太郎氏。
彼は妹を殺されたという悲しい過去の持ち主です。
 
犯罪の被害者遺族が、当の事件の加害者でないとはいえ、
はたしてほかのさまざまな犯罪者の更生に手を貸せるものでしょうか。
 
確かに、出所してきた彼らにの中は、凄絶な家庭環境に育った者もいます。
母親が父親を殺して、遺された子どもとか。
ヤク中の母親からネグレクトを受けてきた子どもとか。
 
それでもまともに育ってまともに暮らしている人もいる。
劣悪な環境に育ったから人を傷つけていいわけじゃない。
 
草刈さんは言います。加害者がひとり減れば、被害者もひとり減る。
自分の妹を殺めた犯人を許すことはできないけれど、加害者を減らすためにも再犯を防ぎたい。
 
手を差し伸べてもいっぱい裏切られます。
もともと辛抱強くできていない元受刑者たちは、草刈さんに感謝しつつも、
ギャンブルに手を出したり、ドラッグをやめられなかったり。
同寮者の金を盗んでまで元の生活に走ったりします。
 
それでも彼らを見捨てない草刈さん。
この10年で職親プロジェクトの参加企業は増え、少年院刑務所と連携を図り、
今はまっとうに働く元受刑者が職業技術訓練に訪れるなどしているそうです。
 
会ってみないと、それぞれがどういう人なのかわからない。
だから手放しで良しとは言えないけれど、応援したいプロジェクトではあります。

—–

『月』

『月』
監督:石井裕也
出演:宮沢りえ,磯村勇斗,大塚ヒロタ,笠原秀幸,板谷由夏,モロ師岡,
   鶴見辰吾,原日出子,高畑淳子,二階堂ふみ,オダギリジョー他
 
見逃していた本作がシアターセブンで上映されているのを知って駆けつけました。
ヘヴィーすぎて、配信やDVDでは観る気になれないと思ったから。
 
石井裕也監督のことは『川の底からこんにちは』(2009)で大好きになりましたが、
たまに観るのを躊躇するほど重い題材で撮るんですよね。
本作は2016(平成28)年に起きた相模原障害者施設殺傷事件をモチーフにしています。
 
東日本大震災に絡めた処女作が大当たりした作家・堂島洋子(宮沢りえ)。
しかし以降は何も書けず、近隣の森の中に佇む知的障害者施設で働きはじめる。
 
夫の昌平(オダギリジョー)は映像作家を目指しているが、なかなか芽が出ず。
このままではいけないと、マンションの管理人の職に就く。
 
洋子の勤務初日に施設内を案内してくれたのは坪内陽子(二階堂ふみ)。
彼女は、自分も洋子のような作家になりたくてネタ探しのためにここに勤めていると言う。
 
重度の知的障害者が入所するこの施設では、虐待が常態化しているなか、
職員の自称さとくん(磯村勇斗)は絵が得意らしく、紙芝居を制作して入所者に見せていたが、
ほかの職員たちから手間が増えるだけだと文句を言われる。
 
ある日、陽子とさとくんを堂島家に招いたところ、
陽子は酔っぱらって洋子の小説を非難するわ、洋子が昌平に内緒にしていたことを暴露するわ。
さとくんが別の話を始めてくれたはいいが、それはさとくんの闇を匂わせる不穏な話で……。
 
モチーフとなっている事件の犯人は津久井やまゆり園の職員・植松聖(さとし)でした。
磯村勇斗演じるさとくんがその役ということになります。
さとくんは、口をきくことのできない障害者を「心のない者」とし、
この世で生きている価値はないとの考えから犯行におよびます。
 
事件前にさとくんと話す機会のあった洋子は、彼の犯行を予測し、
人を傷つけてはいけない、あなたの考えを認めないと憤る一方、
生まれてくる子どもに障害があるとわかれば中絶しようかという思いがよぎって自己嫌悪に陥ります。
洋子と昌平の間には息子がいましたが、先天的な心疾患を持っていたその子は3歳で他界。
夫婦の心の傷は何年経っても癒えることなく、洋子は次の子どもを持つのが不安だから。
出生前診断で胎児の異常がわかれば95%以上の人が中絶を選ぶという事実。
 
さとくんの犯行を許すことはできないけれど、耳元でわけのわからぬ言葉をずっと囁かれ、
唾や糞尿にまみれて患者の世話をしても、月給は手取り17万円。
陽子が言うように、まともな思考を持てなくなっても仕方ないと思わなくもない。
酷い施設だとわかっていても、よそはどこも受け入れてくれないから致し方ないと考える家族。
寝たきりの入所者の母親役、高畑淳子の叫びが胸に突き刺さります。
 
フィクションとは思えない状態に、なんとかならないものかと考える。
考えても何にもしない。私も同罪です。
 
余談ですが、「出生」は「しゅっしょう」と読むのが正しかったはずですが、これはもう過去のことなのか。
最近映画やテレビで「しゅっせい」と読まれることのほうが多い。
また、「他人事」も「ひとごと」ではなくて「たにんごと」と読むのが普通になっているようで、
そんな台詞を耳にするたびに、こうして読み方は変わって行ってしまうのかなぁと思うのでした。

—–

母のこと。

1930(昭和5)年生まれ、93歳の母がその生涯にもうじき幕を下ろそうとしています。
 
母にとっての息子、私にとってのが亡くなったのが一昨年のこと。
あのときは悲しくて悲しくて、だけど息子に先立たれた両親のほうがより悲しかろうと思うから、
私の家とめちゃ遠くもないけれど至近距離にあるとは言えない実家へ仕事帰りに毎日通いました。
後から考えると、よくもあんなに毎日寄れたものだと思います。
母とあの頃のことを振り返り、「みんなアタマおかしくなってたもんね」と話しました(笑)。
 
その年の11月、母の貧血の値がよくないということで総合病院で診察を受けたら、大腸がんだと判明。
手術で切除し、高齢とは思えないほどの回復力を発揮して1週間で退院。
術後の経過も良くて安心していたところ、昨年5月に肝転移していることがわかりました。
 
しかしまったく自覚症状がなく、あまりになさすぎてホスピスでの面談も叶わず。
もうちょっと自覚症状が現れてから予約を取ってくださいと言われてずっとそのまま。
6週間毎に受けている診察では、主治医曰く「もう数値が良くはなることはないが、最悪ってこともない」。
昨年12月に93歳の誕生日を迎えた頃、手足に浮腫が出てきたものの、眠い以外は元気で。
なにせ主治医からは昨年肝転移した時点で「年を越すのは難しい」と言われていたのに、
余裕で年を越して3カ月以上過ぎたのです。
 
今月7日の朝、電話してきた折に「起きて着替えたんやけどね、なんか夢見てるみたい。これは現実かな」と言う。
「大丈夫やで、お母さん、ちゃんと現実で私と話してるで」と言うと安心したようで、
午後からは訪問リハビリの人が来られるし、夕方には私も寄るからということで電話を切りました。
 
ところが午後になって訪問リハビリの人から「部屋のインターホンを押しても応答がない」と連絡が。
慌てて駆けつけたらリビングで倒れていました。
命はあってひと安心しましたが、救急車が到着したときには意識混濁。
がんのせいで肝不全を起こしており、食事はちゃんと摂れていたにも関わらず低血糖に陥り、
体温も計測不可能なほど下がっていました。
 
病院に搬送されたのち、ブドウ糖の点滴を受けるも効いている様子はないとのことで、
相当危ない状況ですと言われましたが、なんとか復活。でももう元通りにはなれません。
 
今日明日いつ亡くなっても不思議はない状態で、あと数日か1週間か。
でも1カ月はもたないと主治医から断言されています。
こんな状態ではあるものの意識不明というわけではなく、面会時にちゃんと話ができています。
幸い痛みはないようで、母はおそらく自分が死ぬなんてことは考えていないと思います。
 
思えば、弟の闘病生活が始まるまではスマホはおろかケータイも持ったことがなかった私。
弟が亡くなった後に母の電話代に驚き、92歳だった母にスマホデビューさせました。
電話はできるようになってもLINEは絶対無理だと周囲から言われていて、実際教えてみると本当に大変。
皆さん簡単に「ここを押せば」みたいなことをおっしゃいますが、
年寄りがスマホを持つとこちらの想定外のことが起こります。タップもスワイプも難しいようで。
 
「あー無理、もう絶対無理!」とキレつつ教え続けました。
「あまりスパルタで教えたげんといて、お母さん可哀想」という友だちの横で母が言う、
「うん、でもねぇ、スパルタじゃないと響かないから」。
そして見事、LINEも使えるようになった母。
 
すごく楽しかったです。
まず、スタンプの使い方にセンスがある。適当に押しているわけではなく、正しいスタンプで笑わせてくれる。
「おはよう 大丈夫」に始まり、「おやすみなさい 感謝」までが日常になりました。
私以外の知人友人ともできるかぎりLINEを繋いで、母は「世の中にこんな便利なものがあるなんて」と嬉しそう。
句読点を上手く打てないおかげで、いま話題になっている「マルハラ」なし(笑)。
 
弟の生前は、弟のほうが私よりずっと実家の近くに住んでいたから、何かと弟に任せることが多く、
それほど頻繁には実家に寄らなかったけれど、弟が亡くなったせいかおかげか母と過ごす時間がグッと増えました。
回転寿司未体験だった母と病院帰りに“にぎり長次郎”へ寄って、季節のおすすめランチを食べるのが恒例。
コメダ珈琲店へは私も行ったことがなくて、母と初入店しました。
京都へのお墓参りや、母の友人を誘ってのランチなど、この2年弱でどれだけ思い出が増えたことか。
 
母は他人への不満を口にすることがなく、いつも「感謝感謝の毎日です」と言っていました。
入院中の病院でも私はたまに「ん?」と思うようなことがあるのに、
母自身はそんなことを思ってもみないようで、看護師さんたちのことを「みんなよくしてくれてね」と言ってます。
自分を囲んでくれている人は当たり前に存在しているわけじゃないのだから、感謝しなくちゃ。
私も見習わなければと思う。

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