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映画の神様は存在するのか。

原田マハ著『キネマの神様』(文春文庫)を読みました。
40歳を過ぎてから作家デビューを果たした著者。
映画化された『カフーを待ちわびて』(2009)は観ましたが、原作は未読。
この人の著作を読むのはこれが初めてです。

主人公は39歳の独身女性、歩(あゆみ)。
国内有数のデベロッパーのシネコン設立部門に課長として勤めていたが、
やみくもに働いた結果、あることないことを噂され、
どうにもこうにも会社に居づらくなって辞職する。

辞表を提出したまさにその日、父親が軽度の心筋梗塞を起こして入院。
マンションの管理人である両親に代わり、
歩はしばらく自分が管理人を務めると申し出る。
しかし、一流企業勤務の娘のことをあちこちで自慢している両親に、
その会社を辞めたとは言えず、有休を使うからと嘘をつく。

歩の父親の趣味はギャンブルと映画。
管理人室に置かれていた管理人日誌を開いてみると、日々の管理人の仕事以外に、
父親がその日観た映画の話が克明に記されていた。
決して上手な文章ではないが、映画を愛してやまない気持ちが伝わってくる。
歩は日誌の中に自分の映画への想いを書き記した紙をこっそり挟む。

退院した父親は、映画を観ていない時間は相変わらずギャンブル三昧。
借金を重ねても、泣いて謝れば妻と高給取りの娘が返済してくれると信じている。
歩はついに会社を辞めたことを両親に伝え、もう借金の肩代わりはできないと宣言。

思うように職探しも進まず、不安を抱える歩のもとへ、
ある日一本の電話がかかってくる。
映画専門雑誌の小さくも老舗の出版社『映友社』の編集長を名乗るその女性は、
「あなたのお父様からあなたの文章が送られてきた。
それがとてもよかったので、ウチで書いてみないか」と言い……。

さまざまな映画が登場する本として、私の心にもっとも残っているのは、
これまでのところ、金城一紀の『映画篇』
『キネマの神様』を読み終わった後もその気持ちは変わりませんが、
これもまた異なる趣で、映画の楽しさがいっぱい詰まっています。

母親はオードリー・ヘプバーンの大ファンで、
父親が怖い看護師を見て思い出すのは『カッコーの巣の上で』(1975)の鬼婦長。
『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)、『フィールド・オブ・ドリームス』(1989)、
『硫黄島からの手紙』(2006)など、詳細に取り上げられる作品もあれば、
『テルマ&ルイーズ』(1991)、ペドロ・アルモドバル監督作品2本、
『戦場のピアニスト』(2002)、『ビッグ・フィッシュ』(2003)のように、ちらりと取り上げられる作品も。
タイトルだけでも登場したことがかなり嬉しかったのは『リトル・ミス・サンシャイン』(2006)。

映友社に文章を見初められたのは歩だと思いきや、
実は歩の父親、ゴウちゃんこと郷直(さとなお)の文章のほうでした。
編集長が歩の文章に惹かれたのは本当でしたが、
そもそもは編集長の息子のひきこもり&怪獣オタクが、
映友社のHPに寄せられたゴウちゃんからのメールを読んだことが発端。
息子はゴウちゃんが読んでほしいと添付してきた歩の文章よりも、
ゴウちゃんの前置きのほうに惹かれたのですね。
そして始まるゴウちゃんの映画ブログ。

ゴウちゃんがかよう劇場は、名画を多く上映するテアトル銀幕。
その支配人テラシンこと寺林氏の人柄がこれまた泣かせます。

終盤は英語版HPの開設により寄せられた外国人とゴウちゃんの批評合戦。
この辺りは勢いにまかせすぎな感があり、引いてしまったりもするのですが、
映画を観る人にも観ない人にも読んでいたただきたい1冊です。

映画には神様がいて、映画は結界に潜む神様への奉納物。
しかしこの神様は、捧げられた映画を喜ぶというよりは、
映画を観て人間が喜ぶのを何よりも楽しんでいる。

この世に映画があるかぎり、映画の神様は、いる。
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