『極道めし』で食べ物の話が出たついでにこんな話を。
『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』。
映画ではなく、本のタイトルです。
ずいぶん長いタイトルですが、
『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくい
SEXのすべてについて教えましょう』(1972)よりはちと短い。(^^;
2008年に講談社から出版され、2010年に文庫化されました。
というのは後から知ったことで、ネットでたまたま見つけ、
ものすごく興味を惹かれて入手。
著者は岡田芳郎さんという方で、電通を定年退職後、エッセイストに。
昭和24(1949)年、山形県酒田市に開業した映画館“グリーン・ハウス”は、
あの淀川長治氏が「世界一の映画館」と絶賛したという伝説の映画館。
同じく酒田市にあったフランス料理店“ル・ポットフー”は、
開高健、丸谷才一、山口瞳など、食通の作家や著名人が通いつめた店でした。
映画館とフランス料理店、双方の支配人を務めたのが佐藤久一なる男。
佐藤久一は酒田の造り酒屋、金久酒造の息子。
父親は地元の名士として知られ、久一は筋金入りのボンボン。
醸造の仕事に関わる気はまるでない久一は日大芸術学部へ進学。
ところが、そんな久一を父親は酒田へ呼び戻し、
映画館をやってみないかと言います。
20歳にして映画館の支配人となった久一。
観客が快適に過ごせる映画館を第一に考え、清潔感を重視。
女性客がなかなか寄りつかないのは、トイレのせいにちがいないと、
まだトイレが汲み取り式だった時代、清掃を徹底して悪臭を根絶。
映画を観ずにトイレに立ち寄る客まで出たそうな。
座席数を減らしてゆったり座れるようにすると、VIPルームも設置。
少人数のグループや家族連れがほかの客に気兼ねなく映画鑑賞できます。
ロビーには喫茶店を併設して、淹れたてのコーヒーも評判に。
また、ただならぬ本数の映画を観ていた久一は、
お薦め映画について自ら執筆、無料の冊子を配布しました。
前売り券の販売や割引制度などのアイデアも久一から生まれたもの。
東京の有名映画館と同じ映画を同時期に呼ぶ手配に成功します。
しかし、女がらみでグリーン・ハウスに居づらくなり、
あっさりグリーン・ハウスを人に任せて出て行くと、次の興味はレストラン経営。
実のところ、映画館の話よりもフランス料理店の話のほうがおもしろく、
書き並べられた数々の料理も食べてみたいと思わせるものばかりです。
客に最高のもてなしを。これしか頭にない久一は、
原価率70%(一般的には30%)の料理を提供し、みるみる赤字が膨らんでゆきます。
そんなときに起きた昭和51(1976)年の酒田大火。
この火事の火元がグリーン・ハウスであったことから、
人びとの口に久一の名前がのぼることはなくなってしまいました。
67歳で食道癌で亡くなった久一。
映画とフランス料理、華やかな世界で客を楽しませながら、
自身がくつろぐことは知らなかったようで、
晩年の記述には胸が痛みます。
正直言って、読んでいるときは著者がお年を召しているせいなのか、
文体がいささか古めかしく、おもしろみには欠けるなぁと思っていました。
読み終わってしばらくすると、あの淡々とした雰囲気こそが
偽りないノンフィクションだと思えて、ちょっと印象深い1冊です。
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