『ああ栄冠は君に輝く』
監督:稲塚秀孝
猛暑で誰か倒れるんじゃないかと心配されつつも絶賛開催中の高校野球。
何年か前の夏にアルプススタンドで観戦したときは、
あとから思えばあれは絶対熱中症。目の前が真っ白になりました。
それ以上に思い出すのが、お手洗いでのおばちゃんたちの会話。ワロた。
確かにデロッデロよ。
そんな夏の高校野球選手権は今年が第100回。
大会歌の『栄冠は君に輝く』がどのように生まれたのか。
第七藝術劇場にて。
作詞者は石川県根上町出身の中村義雄氏。
1914(大正3)生まれの彼は、もとは野球が大好きな少年で、毎日裸足で草野球。
走塁中に負った怪我を放置して骨髄炎を発症。右膝下の切断を余儀なくされます。
切断の手術中も、早慶戦のラジオ中継を聴きつづけていたそうです。
野球の夢がついえて、文芸の道へと方向転換。
投稿生活を送って生活費を稼ぐようになり、短歌会も主宰します。
そこに参加していたのが、地元の貯金局に勤務する高橋道子さん。
太平洋戦争が終わった1945(昭和20)年頃のことでした。
1948(昭和23)年、学制が変更された記念に、高校野球の大会歌の作詞が公募されます。
ペンネームとして加賀大介を用いていた義雄氏は、
道子さんの名前を借りて、加賀道子の名前で応募。
自分の名前で応募すると、賞金目当てだと思われるのが嫌だからと。
それが5,000を超える応募作の中から選ばれたのです。
本当は道子さんではなく、義雄氏が作ったのだということは、
ふたりと義雄氏の親友ひとり、計3人だけの秘密でした。
その後、義雄氏と道子さんは結婚、娘と息子にも恵まれ、
本名も中村義雄から加賀大介へと改めると決め、役所に申請します。
墓場まで持って行くはずだったであろう秘密ですが、
数十年後に歌い継がれる大会歌についての取材が来ます。
記者に向かって思わず本当のことを打ち明けてしまった道子さん。
いつか芥川賞か直木賞を取るんだと言っていた大介氏。
その夢は叶わぬまま1973(昭和48)年に癌で死去されました。
小説家としては世に作品を残せなかったけれども、
こうして今も、きっとこの先もずっと、人びとの心に残りつづける歌。
甲子園の勝者敗者関係なく勇気づける歌。
野球好きゆえ、知っておきたいと思って観に行きました。
清々しい気持ちになりました。
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