職場に「そら、あれだな、ぴったしパンツだな」と言うオジサンがいます。
直接聞いたわけではなく、そのオジサンの秘書さんから
「ぴったしパンツって、知ってます!?」と聞かれ、
数カ月前、私たちの間でちょっと話題になりました。
「ぴったりパンツ」ではなく、「ぴったしパンツ」なんだそうです。
隙間がないというのか、ぴたっと合っているというニュアンスはわかりますが、
いきなり「ぴったしパンツだな」と真顔で言われると。(^^;
ネットで調べてみたら、財務省で使われる業界用語として、
「ぴったしパンツ」が挙げられているではありませんか。
予算書を校正するさいに金額をつき合わせ、
まちがいがなかったら「ぴったしパンツ!」と叫ぶんだそうな。
ホンマの話ですか、これ。
検索に引っかかってきた映画もありました。
『ナチョ・リブレ 覆面の神様』(2006)。
「大人には、ぴったしパンツを穿きたくなるときがあるんだ」。
メキシコの孤児院併設の修道院で育ったナチョことイグナシオ。
料理係を担当していますが、料理の腕前は酷いもの。
また、修道院に十分なお金がなくて食材を調達できないため、
子どもたちが喜ぶような料理を提供することもできません。
ある日、町で有名なプロレスラーを見かけたナチョは、
その豪勢な暮らしぶりを羨ましく思い、
自分もあんなふうになろうと心に誓います。
実はナチョは幼いころから大のプロレス好き。
しかし、神のもとではプロレスは罪とされているため、
秘密にしていたことでした。
プロレスラーになると決めても、修道院では言えません。
相棒としてチップス泥棒のヤセことスティーヴンをスカウトし、
覆面レスラーとして出場するのですが……。
「ぴったしパンツ」が台詞に登場するのは2カ所。
ひとつめは、自室でコスチューム着用中に孤児の一人に見られたときの言い訳。
「大人になると、ピチピチのパンツを穿きたくはるときもあるんだ」。
ふたつめは、お祈りの席にて。
「神よ、なぜ俺をプロレス好きにしておいて、弱っちい選手にしたのですか。
シューズやぴったしパンツに凝ったからですか」。
元の英語は、“stretchy pants”でした。
おバカな映画ですが、
ファイトマネーでバスを買ってみんなで遠足に行くぞ!なんて泣かせますし、
ぴったしパンツを穿いたときの心意気は伝わってきました。
でも。
オッサンのぴったしパンツ姿は見たくない。想像したくない。
—–