MENU

『主人公は僕だった』

『主人公は僕だった』(原題:Stranger Than Fiction)
監督:マーク・フォースター
出演:ウィル・フェレル,エマ・トンプソン,ダスティン・ホフマン,
   クイーン・ラティファ,マギー・ギレンホール他

アメリカでは大人気なのに、
日本では知名度すらイマイチなコメディ俳優といえば
ベン・スティラーとウィル・フェレルだと思います。
私はやっぱり好きだなぁ。

国税庁の会計検査官ハロルド・クリックは
時間と数字にこだわる、規則正しい男。
毎日同じ時間に起床するのは当然のこと、
歯ブラシを上下に動かす回数も決まっていれば、
ネクタイは時間の節約のためにダブルノットではなくシングルノットで。
バス停までの歩数も毎日きっかり同じ。
平々凡々な独身生活を送っている。

ところが、ある日の朝から突然、
彼の行動を逐一説明する女性ナレーションの声が
彼の耳に聞こえるようになる。
小説を読むかのように、彼の行動を的確に表現するその声が
「彼は自分の死を知る由もなかった」と言ったことから、
自分の運命を知ってしまった彼は、
なんとかそれを回避しようと、某大学の文学教授を訪ねるのだが……。

架空の人物ではない男が、
実は著名な作家の小説の主人公であったという突拍子もない設定で、
これを理解するのは無理なことです。

けれども、本作の肝(キモ)は、
単調きわまりない生活を送っていた男が
自分の行動を解説されることによって生き方に疑問を持ち、
さらには自分が事故死する運命であることを知って、
生き方を変えて行くところにあります。
この突拍子もない設定が、至極必要な設定に思えます。

女性作家を演じるエマ・トンプソン、
文学教授を演じるダスティン・ホフマンもさすが名優。
ハロルドから相談を受けた文学教授が「ナレーションの声」に興味を抱き、
喜劇か悲劇か見極めるために挙げる要素が可笑しい。

小説の結末を変更してもらうべく作家に会いに行ったハロルドが、
自らの死に至る過程を読んで、「文学はまったくわからないけれど、
この小説の最後は自分の死しかあり得ない」と語るシーンには感動すら覚えました。

本作は『ステイ』(2005)と同監督の作品。
『ステイ』は不思議なスリラーで、笑いとは無縁でしたから、
その監督が本作のようなコメディも撮るのは意外ですが、
切なさという共通項に納得。
だけど、『ステイ』と違って、こちらはハッピーなエンディング。
恋の行く末に思わずニッコリ。
—–

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次